浦安市の平成10大ニュース
平成31年間の間、浦安市は目覚ましい発展を遂げてきました。2つの駅の開業、人口11万の街は17万人まで増え、街は海へと海へと進展していきました。
ここでは、浦安市の歴史ページの『浦安平成史』からピックアップしたものを、当ホームページが独自に『浦安市平成10大ニュース』と称し、10位から紹介していきます。
10. 新町エリア開発
平成の時代は新浦安の歴史といっても過言ではないでしょう。平成が始まろうとしている頃、新町エリアには、マリーナイースト21といわれる公団と明海大学ぐらいしか建物はありませんでした。
ドラマ101回目のプロポーズのトラックに飛び出すシーンが撮れるほどの交通量や、映画スワロウテイルの架空都市など再現できるほどの何もない場所でした。
しかし、2000年ミレニアムを迎える頃に新町エリアは一変します。第2次マンションブームが到来、2005年には約2万人を超えるほど人口が増えました。
その後、東日本大震災で大規模な液状化現象が起きましたが、大型商業施設やホテルの建設ラッシュなど発展を続けています。
9. 浦安魚市場閉場 (平成31年)
平成が終わろうとしてる、平成31年3月31日に浦安魚市場は60年余りの時代に幕を閉じました。公式ではありませんが、それ以上前にも闇市のような市場はあり、漁師町としての浦安と共に存在していたような場所でした。
平成が令和に変わるように、浦安市は漁師町としての歴史にピリオドを打ち、新しい時代に移行したといっていいでしょう。浦安魚市場の閉場は、浦安の歴史や文化、観光面に影響をもたらすこと必死です。
8. 大きな公園続々オープン
浦安市の大きな魅力に大きな公園が多い事を挙げる人もいるでしょう。それほど大きな公園が多く、そのほとんどが平成にオープンしました。
その中でも代表的なのは、浦安総合公園でしょう。海を望む景観抜群の公園は遠方からも訪れる方も多いです。またイベントも多く行われ浦安花火大会では約12万人を動員します。
その他にも、運動公園、高洲海浜公園、高洲中央公園、明海の丘公園、そして浦安公園など海浜部を中心に続々と広い公園がオープンしました。
7. ホテル乱立
浦安には大きく分けて3回のホテル建設ラッシュがありました。1回目は昭和61年から始まった舞浜ホテル群の建設ラッシュ。そしてディズニーシーがオープンした後の平成17年頃、更に3回目は、東京オリンピックを睨んだと言われる平成28年頃です。
平成2年の東京ベイホテル東急から、平成31年のユーラシア舞浜ANNEXまで、平成だけで浦安市にはなんと25を超えるホテルがオープンしたことになります。
6. 舞浜駅周辺開発 (平成元年~)
舞浜駅が開業した翌年の平成元年に舞浜駅前広場が完成しました。それまでは、営団地下鉄東西線浦安駅が最寄り駅でバスでの来園が一般的でしたが、京葉線がその役を担うことになったばかりの頃です。
その後、オリエンタルランドが、ディズニーをリゾート宣言した平成12年にイクスピアリがオープンしました。従来のショッピングモールとは一線を画したオシャレな施設は人気を博し、翌年のディズニーシーとの相乗効果で常に人で賑わう場所になっています。
5. 2度のマンション開発
新町エリアのマンションブームは大きく2回ありました。昭和63年頃からマリーナイースト21といわれる公団がほぼ完成したのは平成6年。この間に人口は約2万人増えました。※公団だけの人口ではありません。
そして、イトーヨーカドー新浦安店がオープンした頃の平成12年から始まる第2次マンションブームでは人口が約3万人増えています。※マンションだけの人口ではありません。
第2次マンションブームの際は、リゾートマンションとも呼ばれ新浦安のイメージを構築させた建物で、マリナーゼという流行語も生まれました。
4. 東京ディズニーシーオープン (平成13年)
ディズニーシーのオープンは更に浦安市の名前を世間に広める事になりました。今までのテーマパークとは違い精巧に作られた世界観に度肝を抜かれるほどでした。
来園するゲストも大きく飛躍し、平成29年には第3のパークを発表(その後シーの拡張に変更)し、さらなるリゾートの頂点に上り詰めようとしています。
3. JR京葉線全面開通 (平成2年)
とても有名な話ですが、京葉線はもともと貨物線として整備されていました。しかし、オイルショックを契機とした工業用地から住宅地への変化は、東京湾岸の人口の伸びに繋がり、京葉線は貨物線から旅客線へと舵を取ることになりました。
浦安市では昭和62年に新浦安駅前整備計画、昭和63年に舞浜駅前整備計画を策定、12月には両駅が開業し、平成2年には全面(東京蘇我間)開通しました。
東京駅まで開通や浦安市の人口増加などで乗客数は伸び、新浦安駅の1日の平均乗車人員が平成元年は13,043人に対し、平成29年は56,462人と約4倍まで膨れ上がりました。
2. 東日本大震災 (平成23年)
平成23年3月11日午後2時46分頃。大きな揺れが東北を中心に東日本を襲いました。新浦安では立っていられないほどの大きな揺れは長く続き、収まると地面から泥水が溢れ出しました。
世界最大とも言われる未曾有な液状化現象が浦安市の4分の3という地域で発生。一部の家が傾き、下水を主とするライフラインが寸断する被害が出ました。
埋立地の危うさを露呈した液状化現象は、この後も浦安市に暗い影を残し、初めての人口減少を経験することになりました。現在ではほぼ復旧工事は終わりましたが、今後の対策については長い話し合いが続いています。
1. 新浦安駅前開発(平成元年~)
新浦安駅が開業したのは昭和63年の事でした。続く平成元年に完成した駅前広場は、バブル絶頂期に建設されたもので、ペデストリアンデッキなど空間を贅沢に使うことが特徴でした。主要駅クラスなほど贅沢な駅前でしたが周りはガランとしていて、特に夜は怖いほどでした。
平成2年にはダイエー新浦安店(ショッパーズプラザ)やMONA新浦安などもオープンしていましたが、まだまだ駅周辺は空き地だらけな状態でした。しかし、2回のマンションブームは爆発的に人口を伸ばし、現在では東京に行かなくても用事が済むほど便利になりました。
平成元年から始まった新浦安駅周辺の開発はまさに平成と共にありました。31年という成熟期を迎え令和ではどのような駅になるでしょうか?周りの建物の建て替えなどあるでしょうか?注意深く見守っていきましょう。