旧宇田川家住宅
旧宇田川家住宅は、明治2年(1869)に宇田川吉蔵のより建てられた木造家屋である。年代がわかる建築物では、 浦安で一番最古であり千葉県の有形文化財建造物に指定されている。
この建物は幾たびの歴史を重ね現在に至っている。建築当初は、商屋として使われ、米屋、油屋、雑貨屋、呉服屋を営んできた。大正3年(1914)に浦安郵便局、昭和21年(1946)には診療所、昭和48年(1973)まで医院として使われてきた。
現在は、昭和58年(1983)に宇田川喜作により、市に寄贈され、後に一般開放された。静かな住宅街にひっそりと建つ旧宇田川家住宅は、歴史や文化を肌で感じられる貴重な存在である。
旧大塚家住宅
旧大塚家住宅は、その建築の特徴から、江戸時代末期と推測されほどの古い建築物である。
茅葺屋根の外観が特徴で、平屋建てだが屋根裏部屋がある。この屋根裏部屋は、頻繁に起こっていた水害の避難場所とされていて、 当時の浦安の建築ではよく見られた構造だっという。
旧大塚家住宅が建てられている場所は、境川にほど近く、漁師町当時、生活の中心が川だったのを伺わせる。 昭和60年(1985)5月、大塚正次氏より寄贈され、後に一般開放された。
境川を挟んで対岸から見ると、建物の歴史を垣間見ることができる。
ベカ舟
かつて、浦安が漁師町として栄えていた頃、境川に水面が見えな いほどびっしり浮かんでいたというベカ舟。ベカ舟とは、浦安をはじめ東京湾全域でよく見られた一人乗りの小型船で櫓と櫂で操縦、主に海苔摘み用に使われた。
名前の由来はピカピカ光る舟、『ぶっくれ舟』が縮められた、一番小さい『部下の舟』など、いろいろ諸説があるが、名前の由来は不明な舟とされている。ベカ舟の値段は、当時のほぼ自転車の値段と同じといわれていて、
船大工による手作りだった。
漁業繁栄期には1000隻以上あったといわれているベカ舟も、昭和46年の漁業権全面放棄後、その役目を終え、埋立地に埋められたり、焼却処分された。 最近は忘れ去られたベカ舟であるが、山本周五郎作、『青ベカ物語』で その名は後世に残されるようになっている。
堀江ドック
堀江ドックとは、昭和24年、キティ台風後の堤防強化復旧工事の一環で、堀江5丁目の旧江戸川沿いに建設された小さな船だまり。正式名称は「堀江船だまり」であるが、通称の「ドック」と呼ぶ人の方が多い。
完成後、境川に係留していた漁船の一部がドックに移つされた。昭和41年の旧江戸川沿いの堤防改修工事の際、堀江ドックも改修されている。 一時は漁船・遊漁船・屋形船・ヨット・ボートなど70隻ぐらいが係留されていたが数年前から半数以下になり現在は更に減っている。
そんな、堀江ドックであるが、閉鎖の話が出ている。船を所有する者の減少、老朽化が激しいのが主な理由のようである。
船圦川
写真の真ん中に木が植えられている場所はかつて、船圦川という川が流れていた。 はっきりとした事は不明だが、船圦川は当代島の耕地開発に尽 力した田中十兵衛により掘られた人工の川といわれている。
荒地だった当代島を潤す農業用水のためであったが、同時に漁船やベカ舟などが係留する港のような場所でもあった。船圦川から旧江戸川へ漁の船の出入りが多かったため、『船圦川』
という名前が付いたといわれている。
漁業権放棄後、宅地開発が進む当代島では農業用水の利用もなく、昭和52年(1977)埋立てられ、緑道に生まれ変わり現在に至っている。
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