浦安富士
浦安富士とは、浦安中央公園にある高い丘を指し、標高14メートル。 昭和41年に浦安中央公園が建設と同時にトラック1万3千台分の土を盛り上げて造られた。かつては、浦安富士の頂上からは東京タワーや霞ヶ関ビル、東京湾が見渡せるほど眺望がすばらしかったという。
浦安富士が造られた経緯は、鈴木稔という元浦安市長助役が浦安のへそを作ろうという一言で計画が勧められた。若潮公園や高洲海浜公園にも丘が作られており、浦安の人は丘が好きなのが伺える。
公園内には桜やツツジが数多く植えられていて、春になると花見の名所として、また最近では浦安鉄筋家族という漫画でも登場して、昔も今も愛される存在である。
浦安橋
映画、青べか物語のオープニングとラストに映しだされる浦安橋。この映画の頃の浦安橋は1代目で現在は2代目にあたる。1代目は下路式曲弦ワーレントラスという、頑強で特徴ある橋であった。
浦安は、かつて陸の孤島と言われていた頃があり、都心にありながら東京都に行くためには、船か市川市の今井橋まで行かなくてはならなかった。
昭和14年、浦安住民の悲願の浦安橋は完成するが、それは容易な道ではなかった。浦安の有志達が立ち上がり、千葉県知事や、東京府知事に幾度も陳情。やっとの事で、昭和10年に工事が始まる。総工事費の24% が千葉県の出資であったため命名権なく、当初は『浦安橋』という名前はなかったといが、幾度の協議を重ね、晴れて浦安橋が完成した。
昭和14年2月21日の開通式は、盛大に行われ浦安の人すべてが訪れたのではないかというほどであった。 後に交通量増加や老朽化を理由に、現在の上り下り独立型の浦安橋に改良工事行い、昭和60年開通した。
液状化マンホール
2011年3月11日に起きた東日本大震災は未曾有の被害をもたらした。ここ浦安市でも地震と同時に液状化現象が発生、その規模は世界最大と言われている。
液状化がもたらした破壊力は甚大で地中に埋まっているマンホールを激しい揺れにより浮上させるという想定外の現象が起きてしまった。
新町地域のマンホールの多くが浮かび上がり中でも高洲中央公園の駐車場にあるマンホールは土管なども浮上させ液状化の威力を思い知らされた。
浦安市はこの液状化現象を風化させないため飛び出したマンホールをモニュメントとして残す計画が発表されると地域住民は猛反対、半ば強引に推し進め公園の片隅にひっそりとオープンしている。
伝平橋
鉄鋼団地地区の見明川の最下流に架かる橋が伝平橋。 昭和44年、海面埋立地C地区(舞浜・鉄鋼通り)と浦安本土を結ぶ橋として見明川に架設された。
建築費は、当時の金で2億6047万円。 橋の名前は、東鉄連浦安団地共同組合初代理事長、西山伝平の名から付けられた。
西山伝平氏は、その人柄からか、周囲から「伝平さん」と親しまれた人物で、明治34年山梨県生まれ。小学校を中退するも、その後の大正12年、東京都荒川区に鋼鉄西山伝平商店を創業する。
後の東京オリンピックを期に、大型トラックの都内交通規制が厳しくなり、都内の鉄鋼業がまとめて浦安の鉄鋼団地に集約することになるが、その先頭に立った人物が西山であった。
かつての鉄鋼西山伝平商店は、明治鋼業と名前を変え、現在は浦安と栃木に大きな工場を構えている。
ザ・浦安
ザ・浦安とは、かつて当代島に存在したストリップ劇場の名前である。浦安劇場や浦安ヌード劇場とも呼ばれていたが正式名称は、ザ・浦安サスペンス劇場。当時の入場料は3000円で夜遅くまで営業していた。
1960年代から1990年近くまで営業していたようだが、詳しい情報は不明。時代の流れで閉店したようだが、警察の取締りが厳しく閉店したのが有力といわれている。
当代島の一部地域にはトルコ風呂など、かつて赤線地帯のような地域が存在していたようで、現在も他の地域に比べて個人営業の飲屋やが多いのは、その名残といわれている。
漁師町だった頃の浦安の漁師達は、朝早くから海に出て、陸に上がると、一番通り(現・フラワー通り)で映画や、演劇で娯楽を楽しみ、その中の一部の大人は、当代島に繰り出したという。
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