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浦安の海に関わる文化

浦安のアイコン海に関わる文化

浦安の文化漁師町の歴史を伝える文化

東京ディズニーリゾートが建てられた場所は、かつて海であり、広大な干潟でした。今ではあまり想像つきませんが、浦安は半農半漁の町で、漁業に関しては、とても繁栄していた歴史があります。

浦安市の大半が埋立地のため、歴史が浅く文化が育っていないと思われがちですが、海まつわる文化が漁師町だった頃を伺わせてくれます。ここでは浦安にかつて根付き花開いていた海に関する文化を紹介します。

浦安のアイコン舟大工道具・舟大工技術

舟大工道具・舟大工技術

ベカ舟・マキ船・打瀬船・投網船と、かつての境川や船圦川を賑わした船の数々は、すべて職人による手作りによるものでした。当時の浦安には、数軒の船大工の工場『仮屋』があり、どれも見事な技術で、製造や修理を行っていたといいます。

今は、そのような技術は使われなくなってしいましたが、技術や道具を後世に残そうと、市の有形・無形文化財に指定されています。 

浦安のアイコン浦安細川流投網

浦安細川流投網

浦安の伝統的な投網は『細川流』という、網をいっぱいに広げて豪快なげる手法です。その光景は、花火に例えられるほどダイナミックな投法で特徴です。昔はお客さんを船に乗せ、細川流の投網を披露するのが名物になるほどで人気を集めていたといいます。

現在ではイベントで見るができ、カフェテラスin境川ではすっかりお馴染みになりました。

浦安のアイコン採貝

採貝

浦安の海は遠浅の海で江戸川の清流が注ぎ、古くから貝類がよく取れた所でした。明治30年までは天然の貝を採貝が主でしたが、明治40年頃から貝の洋食も始まりました。

特に養殖で有名だった所は『沖の十万坪』という、現在の境川河口(総合公園の沖)付近でした。 貝の採り方は、「大まき」と「腰まき」という手法でした。

大まきは、うたせ船と呼ばれる船からウインチ付きのまき籠(大きな熊手のような道具)で海底を引っかくように採貝いする方法で、
腰まきは、大まきの小さいバージョンで人力で行う方法でした。

貝の乱獲を防ぐため、大まきは11月から翌4月まで。腰まきは5月から10月にと時期を決めて採取していました。

浦安のアイコン貝むき

貝むき

貝むきとは、その名の通り、バカ貝・ハマグリ・アサリなどを剥き、その身を分け加工しやすくすることです。

いつ浦安で貝むきが始まったのは定かではありませんが、明治時代頃には、剥かれた身が日本橋の魚河岸(現・築地)に出荷されていたといいます。

浦安では、貝類加工業者を「むき身屋」貝をむく人を「むき手」「むき子」と呼ばれていました。

むき手は、ほとんどが女性で、貝を剥けない者はお嫁に行けないと言われていたため、小学生ぐらいから練習していたといいます。漁業権放棄後、年々むき手は減っていきましたが、浦安の貝むきは日本一という伝説は、今も変わらず残っています。

浦安のアイコン海苔の養殖

海苔の養殖

海苔の養殖は、明治20年代から漁業権放棄時までの約100年間続きました。(一部では、昭和50年ぐらいまで続いたといわれています)この約100年の歴史は、決して長い年月ではありませんが、浦安の漁業の歴史に欠かせないものとなっています。

海苔の養殖は、波の静かな遠浅で海水と淡水が混じり合うところが最適で、江戸川が東京湾に注ぐ河口に位置する浦安は、関東でも有数な海苔の産地と言われていました。

漁業に影響が出ると断り続けた養殖の話を受け入れ、明治20年代から養殖が本格的に始まりました。その後、海苔の生産は順調に伸び、昭和初期では浦安の水産物水揚げ額の70%を占めてました。

海苔の採取は、干潮時の水の少ないときに「べか船」で行い、沖の十万坪など海苔棚場に、のり網に付着発芽している海苔を摘む手法です。

採取後はゴミなどをを取り除き海苔切機で細かく刻み、真水で薄め、 海苔篭に注ぎ、水切りをして日光に干し、乾海苔にしていました。浦安で生産された海苔は、山本山や山形屋など、超有名海苔問屋に卸されていました。

浦安のアイコン浦安魚市場

浦安魚市場

浦安魚市場は浦安が漁師町だった頃を伺わせてくれる貴重な場所です。週末はもちろん平日(月曜日など休あり)も営業していて、特に年末は前に進むのが困難になるほど新鮮な魚介類を買い求める人で混み合います。

浦安魚市場は現在の場所で営業するまで転々としています。戦後の闇市から、朝市になった場所は猫実庚申塔周辺でした。その後「浦市会」を結成、フラワー通りの木田屋スーパーがあった場所に魚介類を中心とした市場を開きました。 その後、衛生面や交通事情を理由に、浦安橋の袂に市場を移します。

現在、浦安サンホテルがある場所周辺に場所を移した、浦安橋魚市場は、漁師町として最盛期から終盤まで営業していたので、元漁師の皆さんは一番の思い出の場所といえるでしょう。

昭和46年(1971)、「浦安魚市場総合食品センター」として北栄に移転し現在に至っています。最近では、建物が50年近く経たっているため老朽化が目立ち、建て直すのか、このまま閉めてしまうのか噂話が聞こえてきます。新しい形になっても、漁師町浦安の証をこのまま後世に伝えてほしい存在です。

漁業記念公園

浦安のアイコン漁業記念公園

高洲の住宅街の真ん中に漁業記念公園はあります。浦安が漁師町として栄え、その歴史を伝えるために作られた公園です。浦安の埋立は1700戸に及ぶ漁師の協力で成し遂げられてもので、漁業記念公園は浦安誕生100周年の平成元年にオープンしました。

計画から建設まで元漁業関係者の意見を取り入れ、ぼんぎのモニュメントや、貝採りやべか舟などが描かれたレリーフが配置されています。

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