浦安の神社や寺
神社や寺がある場所は、浦安市の元町と呼ばれる、埋立前にもともとあった場所が主になります。浦安三社祭でお馴染みの稲荷神社・清瀧神社・豊受神社の3社や、2つの弁財天、6つのお寺が浦安市にはあります。(その他、いくつかお寺はあります)どれもが歴史があり、地域住民に愛される場所となっています。
稲荷神社
稲荷神社は、元禄2年(1689)に、武蔵国小岩村(東京都江戸川区小岩)の善養寺から移し祭られたものとされています。御祭神は豊受大神です。境内には富士塚や大鯨の碑があり、その昔境内の小石を持って帰ると病気が治ると言われ、露店や屋台が出るほど賑わったといわれています。
稲荷神社なのに狛犬を置いているのが珍しい神社です。
清瀧神社
清瀧神社は、建久7年(1196)に創建された海に関わりが深い神社で、御祭神は大綿積見神です。今の拝殿は明治29年築(1896)の裏にある本殿は、安政2年(1855)に再築したものです。
本殿の建築様式は、本造三間社流造りで銅板葺き、社殿の建築は精巧華麗を極め、なかでも本殿全面右方に掘られた龍は秀作といいます。また、浦島太郎、竜宮城、千鳥等の彫刻もあり、海の神社の特色を持っています。
豊受神社
豊受神社は、保元2年(1157)の創建といわれ、御祭神は豊受姫大神です。当時は当代島に創建されたという歴史が浦安最古の記録になっています。(水害ににより以前の記録はなし)
明治初期までは神明宮社とよばれ、例年10月16日が祭日で里神楽を奉納し、祭典を行っています。 朝早く参拝すると、御神米をいただけます。
清滝弁財天
清滝弁財天は、正式名称を生身蛇形弁財天といい明治44年(1911)に創建されました。弁財天女の使いである白蛇の命により建てられたといわれ、幾度の嵐にも耐えたことからご利益があると人気になり、遠くは北海道から訪れるほど参詣人で賑わいました。
現在の建物は、昭和55年(1980)に創建されたものです。
左右天命弁財天
左右天命弁財天は、灰やのくるわという地域のに、川島という人物が明治17年 (1884)に宇堂を建立しました。 左右天命をお祀りしたことから、左右天命弁財天と親しまれ、地域を火災や津波の危機から救ったといわれています。
花蔵院
海照山花蔵院は、新義真言宗に属し、本山は 和歌山県那賀群の根来寺にあります。昔は海照山花蔵院神宮寺と称し、境川沿いの銭湯、松の湯付近にありましたが、その後、現在地に移りました。 本尊には大日如来を安置しています。
正福寺
説江山正福寺は日蓮宗一致派に属し、市川市中山の正中山法華経寺の末寺です。本尊は法華経開顕久遠の釈尊一塔両尊四菩薩で、文禄2年(1593)に十乗院日咏律師が開基しました。
日蓮聖人のご命日である10月13日を中心に行われるお会式(正福寺は11月12日)が有名で、毎年、万灯行列が賑わいを見せています。
大蓮寺
光縁山勢至院大蓮寺は、浄土宗鎮西派に属し、大本山は東京都港区芝の増上寺。天文13年(1544)に開山覚誉存栄大和尚が、神奈川県小田原の大蓮寺をこの地に移し堂宇を建てました。
浦安唯一の鐘楼がり、大晦日には除夜の鐘を撞く人たちで行列が風物詩となっています。
東学寺
医王山東学寺は、新義真言宗豊山派に属し、本山は、奈良県桜井市の長谷寺で、東京都江戸川区小岩の善養寺の末寺です。永禄年間(1558~1569)に、常誉法印の開基によるものといわれています。
本尊は亀乗薬師如来を祭り、地域の人々には薬師様(薬様)と呼ばれ親しまれているお寺です。
宝城院
清流山宝城院は、新義真言宗豊山派に属している。本山は奈良県桜井市の長谷寺で、昔は清流山観音寺宝城院と称し、東京都江戸川区 小岩の善養寺の末寺です。
閻魔堂(ゑんま堂)で知られている、深川の法乗院に祀られているえんま大王は、昔大津波の時に宝城院から流失したものといわれている。
善福寺
東海山善福寺は、新義真言宗豊山派に属し、本山は、奈良県桜井市の長谷寺で、東京都江戸川区小岩の善養寺の末寺でしたが、現在は和歌山県那賀群の根来寺に属しています。
明暦2年(1656)に、興教大師法孫栄祐の創立開基によるものです。聖徳太子の作と伝えられている枕返不動明王が安置されています。
猫実庚申塔
猫実の庚申塔は、海照山花蔵院に属しています。本尊には青面金剛尊を安置し、正徳5年(1715)法印賢教が、破邪顕正のため勧請し、万民豊楽のご利益があるといわれています。
例月25日が縁日が行われ、その昔、体内の虫が夜中に悪事を天帝に知らせに行くという庚申信仰があり、信者は虫が知らせるのを避けるよう寝ずに宴をしたといわれています。
この『浦安の文化』を特集したページは、浦安市の公式のホームページではございません。浦安郷土博物館の展示内容を始め、多くの資料や証言、再現など踏まえて作成しています。