浦安市の指定文化財
浦安市の指定文化財は28を数え、そのうち千葉県指定文化財は5つあります。どれもが、その存在が歴史を物語り、伝統を後世に語り継ぐ事により、新しい文化に繋がるものばかりです。
※このページで紹介している有形文化財は、気軽に訪れる事ができる場所を紹介しています。また、『浦安の文化』のページでいくつか重複している箇所がある場所は、そのカテゴリーで紹介しています。
宝城院庚申塔(県)
宝城院の入り口横にお堂があり、その中に眠る庚申塔は元文元年(1736年)に住職によって建立されたといいます。全国的に見て破損の少ない庚申塔は珍しく、千葉県指定の有形文化財に指定されています。
豊受神社の大銀杏
豊受神社の境内には、浦安市指定の天然記念物に指定されている大銀杏があります。近くの境川に流れてきた枝を境内に植えたのが始まりといわれ、約370年の間、見事な新緑や紅葉を見せてくれています。 浦安唯一の市指定天然記念物です。
田中十兵衛墓
田中十兵衛は当代島の耕地改革に尽力した人物です。荒地だった当代島は、十兵衛による灌漑用水路によって、農地として生まれ変わったといいます。当代島はその後、その技術を使い、対岸にも葛西領当代島を作り、農産物の増収を図りました。
浦安市指定の有形文化財の1つです。
猫実庚申塔
周辺地域では庚申様と呼ばれ、親しまれている猫実庚申塔は、毎月、25日には縁日が行われている。かつては、縁日の日には露天などが出て夜中まで賑わったといいます。現在は、昔ほどではありませんが、浦安名物『たまごフライ』の屋台などが出て賑わっています。
旧宇田川家住宅
明治2年(1869)、宇田川吉蔵によって建てられた木造建築物。米屋、油屋、呉服屋、郵便局、診療所とさざまな経歴を持ち、地域に愛されて た建物です。現在は、浦安市の有形文化財に指定され、一般公開も行われています。
旧大塚家住宅(県)
江戸末期に建てられたといわれている、茅葺屋根の木造建築物。大塚家は漁業を行っていたためか、境川の近くにあり、水害に対して の工夫も随所に見られます。現在は、千葉県と浦安市の有形文化財に指定され、一般公開も行われています。
清瀧神社本殿
清瀧神社の裏手にある本殿は、安政2年(1855)に建築された当時のまま見ることができます。その見事な彫刻は繊細で美しく、関東ではなかなか見られないと言われています。海にまつわる、龍や浦島太郎など、見事な彫刻は見ていて飽きないほどです。
宝篋印塔
宝篋印塔とは、「宝篋印陀羅尼」を内部に納た石塔です。明暦2年(1656)善福寺の境内に創建されました。当代島村をはじめ、近隣の村々や江戸の住民、石塔の作者など名前が刻まれており、この塔を供養すれば罪が消滅する建立趣旨などの古文書なども納めれています。
旧内田家の三軒長屋(県)
浦安市堀江3丁目にあった建物を郷土博物館に移築し、その後、千葉県指定の有形文化財の1つになりました。安政5年(1858)以前に建てられた、長屋がここまで綺麗な状態で残っているのはとても珍しいと言われています。外には共同便所まで見事に復元され一番の注目ポイントかもしれません。
旧本澤家住宅
浦安市猫実5丁目にあった建物を郷土博物館に移築、その後、市指定の有形文化財の1つになりました。関東大震災の3年後の大正15年に建てられ、昭和55年ごろまで煙草屋や雑貨屋を経営していた建物です。(木造2階建て)
旧吉田家住宅
浦安市堀江2丁目にあった建物を郷土資料館 に移築、その後、市指定の有形文化財の1つになりました。明治時代後期の建築といわれ、漁師が住んだ住居の典型的な間取りの建物といわれています。
旧太田家住宅
浦安市堀江3丁目のフラワー通りにあった建物を郷土博物館に移築、その後、市指定の有形文化財の1つになりました。明治38年ごろに建てられた平屋建てで、当時は魚屋を営んでいました。
大鯨の碑
明治8年、当代島の2人の漁師が三枚洲(ディズニー沖)で大きな鯨を捕まえ、大金を手にしたというニュースが浦安を駆け巡りました。誰もがこのニュースを口にし、話題にしたため、仕事が手につかなくなってしまう人が続出。この騒動を終わらせるために、石碑を作り、神社に納め安静を計ったといいいます。
堀江水準標石
清瀧神社の片隅に堀江水準標石はあります。この水準標石は、江戸川や利根川の水位の基準点を標したものです。明治5年(1872)、政府が招いたオランダ人、リンドウにより設置されたもので、現在も測量の基準となっています。平成19年、歴史的価値が高いことから、土木学会認定「選奨土木遺産」に認定されました。
この『浦安の文化』を特集したページは、浦安市の公式のホームページではございません。浦安郷土博物館の展示内容を始め、多くの資料や証言、再現など踏まえて作成しています。